きょうみつけたものinほんだなおそうじアワー

積みあがったゴミの中から14の時に買った「寺山修司イメージ図鑑」がでてきた すてきだ
部屋においてた鈴木翁二マサルさん2巻とかわかみじゅんこを三冊切り同時進行でよんだらふだん気にならなかったそれぞれのポジションが浮き彫りになった
鈴木翁二の全盛期は過去のことなんだなあとおもった
小学生だったころ鈴木翁二等を敬遠していたのは
それはわたしの知らないお母さんのよむもので難解だったのです 大人たちが何を言っているのか理解できない会話の中でのものさびしさというか
大人たちのうしろぐらいニュアンスを子どもごころにレントゲンしていたのです
大人たちにも18,19,20の時があったでしょ
その時代の特に裏側のじんわりした部分をみるような感じでした
(決してきらいではないけれどさみしいような遣りどころがないような感じ)
当時それにぴったりの言葉が見つからなくてますます不安になった
あえて言うなら「虚無感」というか・・



きになるので
つづく