ジョージ・ウィンストン

「あ〜しんど」て言って泣いた


春になって少しはあたたかくなったら青森の寺山修司記念館に行ってみようと思う
自分で「描きたい」と思ったものを数あるモチーフの中から選んで自分で組んで自分で描きたいものが映える流れにしたという気でのぞむ 今好きなものを選んでいいところをうまく見せるように描いてる平面のように
あーマスクの盛りでできる空間も台の安定も午前にかなり意識して描き出して午後物質感とか空間の中の色質の印象の冴えにめっちゃがんばったのにマスクの盛りも台の安定も結局できてなかって評価がパーとわ泣ける
な ん で だ〜〜!! なぜ??
塊が似るように描いてるんだけど毎回いまいち顔は似てないし
z軸の奥行き〜なボリュームが出ないし(ノートパソコン・カバーor分厚いゴム板状の起伏になる)先生は結局調子の差だと言うけど何がかわからんし(どこを調子の差?その効用は?はたして調子の差でz軸の奥行きは出るのか?) 「描き進めれば進めるほど感じるモチーフとのよそよそしさ」はここ2,3作でなくなってきてるんだけど今日は描き出しの構図でテンパッた 取り敢えず縦線横線垂直水平縦横無尽に引いてみたのは面白かったけど  愛も感じられなかったし(万人に愛を振り撒きなどしない) ナニシロ「上から見て丸・・長方形・・二等辺三角形・・」を横から見た時のボリューム感が調子の差に変換できてません ん!?調子の差!
調子(色の差、見え方の差・・物質的に生生しい・さらさらに流れている)その割り振り、采配の決定が実物の有り様と合致してないんだ
そのへんはそつなくできときたい
全体はひとつひとつの固有の差はあっても同じ空間に存在して同じ光が注がれているので 絶対的な明中暗の采配は同じ世界の中で行われているのね
・ところで しんどくてきたない絵は好きじゃない