狂い咲きの春

ああ・・・


そうじした


読み終えて、特に読み返す意義もない本、がいっぱいあるので
さてどーしようかな・・
売るにはボロボロだし 人にあげるにもボロボロだし 捨てるのはしのびない
あと 絵はとりあえずとっておくんだけど、思いいれのある、賞状 はどうしよう
昔もらってたふろくのような賞状は 丸まったりそのへんに飾ってるうちにどっかにはさまったりで結局捨ててるような気がするけど
今年いただいた賞状が丸まったりはさまったりするのはやだな(せつない)
と思う



あとCDもかさばる。
CDってどうしよ、とか考えながら紙袋に詰めつつ(暫定)
あの、5枚で千円です!とかっつって通信販売で売ってる収納ポーチ的なものに
わたしの思考のルーツは収まるんだね、・・ と 思ったりした


とはいえ一番かさばるのは
越してからも黙々と消費してきたクロッキー帳(11冊くらいあった)、及び作品で
まーなんかちょっとだからっつーわけじゃないけど 11冊のクロッキー帳を消費したいがために生きてるわけじゃないけど
思考の残滓が持ち物の中で一番存在感あるっていうのはこれちょっと成長したな的


あと最近の作品を纏めてたら案外、あーこれはあの時○点とったやつだったけど、なかなかいいじゃん これはあそこで○位だったやつ、佳作 これはあの時、とかっつって 自分は自分が思ってた割に「優秀」でしたよ。


な、環境だって実は大学予備軍の中で自分は20で2浪目で、とか、しかも結果の安定度だって彼女や彼より不安定、とかいう事実はさておき、
そういうことにさしといてあげようよ。
顔の割れてるメンツの中での相対評価の自信が何の役に立つんだっつー想いの反面
自分の中の絶対に則った結果評価されたんだっていう自信がいる時もある。特に自分が考えていることが正しいのかどうかわからなくなってしまった時・・


先日 鈴木翁二氏と飲んでいる時に
「浪人大学があればいいのにね」と衝撃的な発言をされたことを今思い出した


何かを信じるっていうのは
わたしが日々何となく過ごす日常の風景の雑さに比べて何て繊細な次元の話なんだろ
半歩先は闇 絹糸渡り(トレーシングペーパーと言ったりもする)



地図帳がやってきた
今 母のいる ベルギー は、ドイツ フランス オランダに囲まれております
中学生だった頃の自分が、鈴木翁二氏の住んでいる北海道の浦河町に赤○をしていた