せいいっぱい計画性もちます

先月あたりくらいから実家にいるんですね.明日、ひとりぐらししていた部屋を引き払うために東京に行くつもりなんだけど、とりあえず実家の部屋をちょこっと片付けて出よっと思って机まわりの掃除をしたりして、あ〜かつて(2、3年前)実家を出るときもあわてて出た感じであんまりきちんとそうじした記憶がないな〜と思って部屋をぐるっと見回すと、1浪で受験に失敗して傷心の時期に予備校のロッカーに入れていたプリント類を全部つめこんだ水色のギンガムチェックの袋が、その日家に帰って置いたときのままあったわけよ。今までちょっとシカトしてたわけ さっきこわくなって中をのぞいてみたら、高校の時の現国のプリントが入っていて、クラスでそれぞれの生徒が夏目漱石の「こころ」の感想(匿名)や、萩原朔太郎への手紙(任意の設定で)を書いていて、匿名でも、大体字を見れば誰らへんが書いたかわかるし、自分が書いたものもわかった。あらためて見ると、当時のわたしたちの人となりがだいたいみえてくるような気がしたし、人がばれたようなきがした
わたしが最近、すぐれているとか、劣ってると思い込んでいた様子とは違ったというか、しょせん、高校生なのかぁ、、って思って、しょせん高校生、みたいな風に思われるのをただ嫌がっていた自分が、完敗っていうか



わたしの「こころ」の感想は、てきとー且つやばいえらそう。朔太郎への手紙は、ちゃらんぽらんだけど今のわたしでも書くような感じ。朔太郎への手紙は、がんばれば公開できるけど、こころは、ちょっとやめてくださいって感じ。だけど、まあ正直いうとほんとは別に誰に見られても全然いいけど・・
まだ片手で数えられるくらいの年月しかたってないのにすごいおそろしくって表情筋がこわばった(わたしは一生、ひとりよがりなのにである調で、である調なのにちゃらんぽらんだということから目をそむければ楽になれるけど、結局ずっと同じ、みたいな)ずっと同じ ほいで、ひとりよがりでちゃらんぽらんでである調だってことは、ささいなことで、人類の進歩には、影響あるわけと違ったりするから、わたしは人類の進歩から外れたわたしの行動範囲内でひとりよがりにちゃらんぽらんであるをやっててべつにいいと思うよ、みたいな、む、むらはちぶ