悪魔に魂を売ってどーのこーの

朝、所長がご機嫌ななめだったのでひさびさにビビリ上がったよね。


昼は講師陣で、受験時代ちょくちょく行ってた隣のテナントのお好み焼き屋に行き、後輩におごったりしました。


夜、藝大院生の女性講師のお話を中心に現役生2人と講師3人の、受験話、表現についてのおしゃべりに参加して、結果、もうひとりの講師の女の子は途中から暗闇のアトリエに引っ込んで考え込み、わたしは超アッサリめっちゃドライに「じゃお疲れ様で〜す」と別れたあとで顔ぐしゃぐしゃ大号泣の夜の散歩でした。
彼女が高校の頃、たくさんの人が生きて死んでいく中で、絵で足跡を残すことだけ考えて、芸大受験を志したなんて、今になると、自分がなりたいこと、自分がやりたいことだけを考えてるだけで、バカだな〜と感じる。間違いだと思う。(わたしは、超大型本屋にあるすべての知識を網羅しても余りある人間になろうと思っていた)
でも、「宇宙は広い、すごい」と宇宙を見てる人よりも、宇宙に向かって一歩でも近付こうと地味なことを積み重ねている人の方が、ずっと宇宙に近い、と言ったのには、「同志、」と、涙腺ゆるんだよね。
すごいテンション、ボディランゲージで、合格した時の自分の絵がどんなだったか(彼女は「全速力で走ってる人を撮った写真みたいだったと思うの!」と叫んでいて、そう言ってる時の彼女が、普段とぜんぜん違ってすごーくかっこよく綺麗に見えてしまったのが、もうなんかツライよね。)、浪人時代の入試直前のてんぱってた時に気付いたら植え込みに穴を掘っていて土まみれになっていたこと、毎日、絵を描いたあとはアトリエの隅で動けなくなるほど泣いていたこと、時々口を挟んできた所長の「藝大が特別ってわけじゃないけどさ、」の前置きつきで藝大に行った人たちが絵を描いてたときの情景、もちろんわたしにもあった情景のことなんかを聞いて、今とはちょっと違う、かつての日々の熱いハートに思いを馳せちゃった。自分だけのこころの動きに振り回されて、操作が困難だったころの。つい3,4年前の。今はもっとドライです。アッサリです。若干関心薄めもできます。なぜなら以前は自分の好きなものがひとつあって、ただひたすらそのものに認められることだけをもとめていたけど、最近はかつて好きだったものが嫉妬するくらい、意外とモテて悪い気もしないので割と不自由してないから。なんなら裏切ったこともあったし、手切れ金わたして、バッサリ関係をきりすてることもできるのかもな〜なんて。いう案を考えたりするから、不安な気持ちにさせてしまうのかもね。ヤッパこんだけ才能あってまじめで勉強家でおしゃれだとうっかりアンテナにひっかけちゃう人がいるんでしょうね。なんてね。もちろんじょーだんです。でもこういうことやったらこういうタイプの人はひっかかりますとかいうやつがありますよね。ひっかかってリクエストされた後の、つづきのレスポンスがまだつたないんですけど。ちょっとまだ狙い定めるのを躊躇しててついつい銃乱射事件でいろんな人を犠牲にするんですけど。そろそろ幸せのカタチを一度完結させてみてもいいような気もするんですけど。
でも、思い込みって、ほんと、うつくしいよね〜。いいね〜。ひとつのことと密接にコミュニケーションすることをねがうことって。
でも、幻想とは違う、本当のヒト、じぶんのことを好きになるために、うつくしさに欠ける病に思いをはせてみたいな。
まだ生きてるヒトに対してリアリティが薄いんだよねきっと。うつくしいことばかり考えてるからね.
ずっとフリスクとかフリスク系のもの食べてるからね。カリカリ食べてて一日1,2箱消費するからね。
まああとは死ぬこと考えたりするよね。はぁ