研究会の合宿で河口湖に行った


山中先生とゆうこ嬢と、斜面に生えている木は上から落ちてくる死んだ枝葉を抱えて根元が地面に対して垂直ではなくて若干横に抱える形で持ち上がっているって話をききながら森を歩いてて、折れて横たわってる枝も生えてる枝も同じようなものとして処理しているので、死んだ枝って形容が人間みたいだなと思ってひっかかっており  帰りの車の中で樹海の話をしながら青やんの好奇心のまま富士林道を走っているとき、ひたすら高い密度で生えている木がどれも同じように見えてくるんだけどだんだん木が人に見えてきたり、嬉しくもつらくも悲しいのとも違う気持ちになって、今も私の心はあの道にいる





理解しづらいことをはっきりと言ったりするから、注意が必要なんや。自分の気持ちとは裏腹に楽しくなることをOSHIGOTOするとか、欺瞞がいっぱいあって体を壊すからやめた方が良いと思う。学は必要。生きて行くことも大事らしい。という今までの教えを守っている