うちのお隣

あ〜また〜ネガティブモードに突入〜
流行の記号の出来不出来を考えると憂鬱になります
あと3日くらい経てば、記号なんて表層にすぎないと悟り、
それから2日 経てば、まずしい必死の幸福の、記号と表層が占める割合を身に染みて痛感するはずである


(ゆたかな幸福をひたむきに探ることが肝要なんだろう)
暗号めいたきょうのにっき
暗号めかさないとどうにも
まずしさをひけらかすようで
・・・


風景になっていくのか?ささくれになっていくのか?ふたつにひとつ。どちらでもいい、どちらもいいけれどきっとささくれ側になるんだろう(何でも革新すりゃいいってものじゃない)


大正デカダンス
自分の周囲の人間関係・環境の影響によって自分の嗜好が(楽な方に?)固まりつつあるように感じる
うちのトイレに長年置いてある昔の「芸術新潮」の甲斐庄楠音の特集号、『穢い絵ではいかんのか』「まま、どうしてこんな人の本を買ったの」「おもしろいでしょ」「(おもしろいかもしれない)」予備校の先生の私物の中から出てきた大正デカダンスの画集、気になることばかり言ってきたイラストサイトの管理人が突然甲斐庄楠音の名前を口に出す つじつまを合わせるように幼児体験に美意識の保障の裏打ちができていく。
中学時代の友人の嗜好(ゴス)彼女の魅力にのめり込んだ時期、そこから派生する知識、去年の出来事「夜想」復刊、予備校の本棚から出てきた昔のペヨトル工房夜想」、(今は亡きSIDESHOW、)かつて好奇心で見、聴き、読みあさってきたものたちが肥やしになっていまの行動の原因になっている実感
その他もろもろ
しかしよびこうの先生の売る絵は別に好きではない(まだピンとこない)
・・・まだ未消化

室生犀星「蜜のあはれ」を読もうとおもう