外に出たいのに出られないという心理がわかるようになった。

生活に支障が出ても酒がやめられない人の気持ちもわかる
酒はあまりのめませんが
食べたくないのに食べてしまう人も



真剣顔で言ってることも
どこまでが冗談でどこからが本気なんやら


ともかくすべての感情の責任は
自分をどこまで自覚してるのか からしぼり出されるということなのか?

ふみこめばふみこむほど
はっきり断言することが難しくなってくるというのに


パッと見
文脈のはっきりしない上に意図のつかめない 宙に浮いた文章は
不親切だと思ったりもするけれど
それはパッと見で判断できない所まで意識が深入りしたものを見た時


欲張りだから?(八方美人で?)
信じる価値を狙い定めて 一直線に進むことができないのですねー


一直線に進むこと、
そこには嘘、間違いや隙がいっぱいあるから



それを恐れるなというのなら
今、自分ではない誰が、それのフォローをしてくれるというのかい
走る脇から零れる嘘、間違い、隙の手当てを
自分以外の誰がするのか


かざりたてに精を出すのはかまわんが、
自分の中から出るごみのことを無視したままでいる。
でも
もう何に対しても無視を決め込むことはできないト思う。
<意見していかねば>


(お母さんの気分。)
それはおいといて。