「過ぎたるは及ばざるがごとし(孔子)」っていうのは
やりすぎはよくないですよ〜
なんてなどうでもいいことを言ってるのではなく


埋め合わせているのは
もともと持ち合わせていないからなんですよ


というキビシー指摘なんだと思うんだけど。
第一
やりすぎはよくないですよ〜
なんてのは単なる一本通行の行動に対しての一休みの言葉であって そんな事言ったところで何の解決も導かないじゃない、
発言したという事実が残るだけの、意味はそれだけの発言


発言したという事実が残るだけの発言(危害も革新もない<意味のない>発言)の繰り返しで交友関係を育むというのはあるけど


つまり
過ぎたらせてしまうのは 欠如・不全のコンプレックスからくる。
のような
わたしが難しいことをいってるのは、難しいことがわからないからという 
そういう「ジレンマ」のことを言っているんだと思うんだ。
「過ぎたるは及ばざるが如し」っていうのは。


あとスクールカースト という便利でおもしろい言葉を知ったので
メモしておく
わたしは このカーストに自分が固定されてるという意識がなかったというか、カーストを骨組みにしてアスレチック遊びができると思っていたんじゃないかと思う(そして今でも思ってる)




わたしの所属するカレッジの話。


カレッジ内で出席日数がわたしだけギリギリというのはどゆこと?わたしは根がまじめなので罪悪感をかんじる。

このカレッジに所属する限りカレッジの偏差値から一瞬たりとも下回ってはならない 「品行方正・実技トップレベル」を保持することがあなたの義務です
というのがうちのママの言い分で
いや、そこを完璧にするっていうのは、案外無意味だよ。とわたしは異議を申し立てるんだけど
カレッジの学生たるものその発言権を持つことは贅沢らしいのよ。ソウナノ?ホントニソウナノカ〜〜!?!?

人生ゲームでは
コンスタントに進むのも不安定に進むのも
ゴールからすれば意味のないことじゃん。
コマンドは河の流れのように連なってて、その上に自分の身をゆだねて楽しむのが人生ゲームの盤だと思ってる


まあ
人生はボードゲームではないから、リアルだから、
肉親からすれば「身を持ち崩すことへの心配&円満に進めたい思い」はあると思う
でもそれ一本だけじゃだめなんだ。というか生まれた時点で人間は、肌の老化みたいに、身を持ち崩してるんだと思う。だからそれ一枚の層だけで支えられてると思ってると、
「こんな世の中でそんなもの託したってしょうもないじゃ〜ん!なんで生んだの!」の口論あるいは自殺を起こしかねない (今のまま放っておくとそれが近づくような気がする。)


人生を幸せのかたちに持っていくための時間の浪費は十人十色だ。個人的思考の時間を省いてひとつの定番型を適用するやり方で本当の幸せが成就する筈がない。
「じゃあ自分が求めているものは?」それを自分で考えることではじめて自分がほしいものがはっきりするんじゃないの?


恐怖 のバックグラウンドがある。ふだんは気付かないけど確実にある。
きみは大丈夫か!?と言われるくらい何かに依存しないとこわくてやっていけないことから護身する独自の術を編み出すために生きているのが現状。

ただその恐怖が何に対してなのかがはっきりわからない。自分が悪であること かしら


生産とは関係ない話。