子どもの頃は生きていることに疑問が「ない」から楽しいことが多い、などという人がいるけれど、

小さい頃の記憶と言われて覚えているのは、いくつかあるけれど、自分の置かれていたその状況の正確なところは見逃していても、その状況で感じた自分の感情というのは多分昔のままだと思うのでわりと自信を持って言うんだけど、昔住んでいた社宅で、母が晩ご飯の仕度をしていて、父がちゃぶ台の向かいでボーっとしていて、そのときわたしは、なんで生きてるんだろうと思って、なんだか悲しい気分で曇ったような、泣けたらいいのにそういうのとは違う嫌〜な気持ちになったことがあって、なんかあれは幼稚園か小学校低学年の頃だと思うけど、すごくショッキングな出来事だった。

わたしの人格形成やうちの父のハプニングを見ている人は、うちの父はリベラルな人間だという勘違いをしがちですが、父は、本気でちゃぶ台をひっくり返すタイプの人で、彼がちゃぶ台返しをやめたのは、天板がガラス製のちゃぶ台を割って壊して家と塀の隙間に投げ捨てた日からです。あれから母姉わたしは椅子にテーブルなのに彼だけ床に敷いた新聞紙の上にお皿をおいてご飯を食べるようになったことを今思い出した。なんでいつも犬のような配置なんだろうと思ったら。
他にもブーメランのようにオムライスが飛んだ日のことなど、普段は覚えてても特に役に立つものとは違うので忘れてるけれども色々子供心につらいことがあった。でもそれはわたしが可愛そうな体験をしたとかいや〜まだまだ平和だとかそういうのとは違って(人の感じる悲しい感情の度合いと実際に起きたこととの関係性は案外弱いと思う。)(それは、わたしが思春期に入ったごろで覚えている、人前に出るのにも涙が滝のようにあふれ出たのは、小6の冬にわたしがビデオデッキの上に置いておいたスウィーティのチューインガムを母が全て食べたという些細なきっかけによるということからももう大体わかっている)(その次がビデオで見たタイタニック)(その次が美大受験のときの父との確執)確かに当時は憎んだりしまして今でも実際わたしは彼に冷たく接しますが、本当にムラのある、家から仕事場まで真夜中にスリッパと自転車で通勤する、ネタの宝庫のようなオカシな人です。父との思い出は普段砂の中ですが掘り返すと味わいのある思い出が多いようです。美談では、化学の研究者をやってらっさるので、手作りの顕微鏡を作ってもらったり、陶芸が趣味なので、無断で社宅の空き地に作った釜で焼き芋をしたり、桜が咲いたら背が高いので上から揺らして桜吹雪をしてくれたり、仕事場に遊びに行って花を摘んだりパソコンをさわったり、ボロボロのバイクの前につかまって家に帰ったり、彼が撮ったビデオがおもしろかったり、スノードームの水が漏れるのを取り上げてまっ黄色のエポキシでギトギトに修繕してもらったり・・そういう父から先ほど電話がきたりして、しゃべったりなどしました