笑い飯のトランジスタラジオくんがあと2回で終わって、同じ時間のあとがまにバナナマンのラジオがくるなんて、泣いて、笑って、でもさみしいな〜って感じ!
たしかに飯さんはラジオではかんじわるかったけど〜・・
あ〜・・
なんかかわいそうだったきのうの飯さん、途中でねちゃったけど・・
わたしだいたいのことを表層でみてるかんじするんだけど、表層での弱者強者ってカテゴライズがあるとしたら、それはただのイメージみたいなものにちかいのかもな〜
じぶんを弱者ってきめつけちゃったら、なんかひらきなおってずーずーしー感じにいろいろとまわりからすいとっちゃうんだろうしさ〜(って考え方をしちゃうと、人に助けられるような生き方は嫌だって思ったりしだすから、図々しいっていう表現にセンスが欠けてるか、もうひとつ踏み込む前の考えか)
強者は、一見はでにみえてやってることはただの縁の下の力持ちだったり、逆にいろいろと脆いから虚勢はっててやばいバージョンとかいろいろあるし〜
弱者にも、ただの縁の下ワークを放棄してるだけの人とかいて、ちなみにわたしが自分のことを弱いなっと思うときは縁の下稼業を放棄してるときだからそう思っただけなんだけど、他人のことって、ぜったいに全部知りうるものとちがうとおもうし、本人だってどこまで自覚してるのか謎なんだけど、よく、弱者強者のカテゴライズをやりたがる自分にきづいたりしていやんなっちゃうぜ。よく、自分の中で判断したいろいろをそのまま人にしゃべくっちゃって、うっわ〜あさはかさまるみえ。て感じのときあるわ〜
親戚のこととか、さいきんできたともだちのこととかさ〜
らくになるためには一度つっこむこともいるってことかしら〜。
ああ〜。
やたらといろんな劇的な出来事を平坦に地味に捉える努力をしてるようなきはする。
きをつかってしたりすることはほとんど余計なお世話になったりするし。
でもさくさく事実だけつたえていくことはあんまりクールすぎる。
言葉を選ぶ動機に人肌は要るっていうか〜
行為を選ぶまでの自分の軌跡が実を結んだものが今現在だという捉え方をすれば、わたしは今後自分がつけるだろう軌跡も可能なところまでは自分自身でコントロールしたいとおもーます。