全世界の赤シャツ

主人公、というのわ、伸びしろがあるからその役を買えるのかな?全員脇役、がいい。みんな平等に個性をもった脇役として散漫に捉えていたい、のに、集中視はスゴイんです。もう断然優位。散漫視が一聞なら集中視は一見ですよ。パンチ力が違うよ。で、なにかやるときは、はじめはハイ脱線〜はい脱線〜〜から次第に集中視にあらゆる条件が集結〜〜〜!!という図り方をするので、散漫視支持派だと思ってたのに、裏切ったんだね。という自責の念や、周囲からの非難の声が、けっこうある 「確信犯・・」とつぶやかれたりしつつ、いやいや確信犯できてたら今頃院試の対策してるか内定もらってる 脇道をちゃんと、ちゃんと。みたいなとこからはじめると時間がかかるんだよね。でも時間かかってる時点で、わたしが高校生だったときなら、今のわたしを完璧なめてる。「たかが脇道の整備にだいぶいろんなものを犠牲にしているな」とかいう視線で見る。
脇道を整備するだけで評価されると思っていたんだね〜。
大通りの整備だけでいいと思っている人も多いけどね〜
両方わかってる人がいるもんなんだよね〜。


いつも、同級生や上級生の中で、一番とって「やり〜」とか、4番とって表彰台に上がれなくて「あと0.3秒で、たったの0.3秒で」とか、いうくやしさとか、生き生きと感じていたところはあり(まあ他人にとっては全く心揺さぶられないエピソードではあるものの・同期には意識されたりとかはあるだろうけど)、今、のんきに22歳の一年生(23の一年生もいるものの)で「一番やり〜」とか「やっぱすごいね〜Kおー生は。でへへ」とかやってる場合と違うんだ、同級生と違って3年半かけただけの何かを、認められるかたちでもってるべきなんだ、とかいうことを、他人に指摘されるまでまったく思ってなかったり。力の世界ではあんまり年功序列ってないもんね〜とかてきとうなことぬかして不本意な場所でくつろぐつもりになったり。いいかげん本気出そうかな〜。。。でも本気出した後も生きる意志があるかどうかは責任持ちにくいからな
でもいつでも、本気出す必要がでてきた時のことはちゃんと考えている。し、本気でビシッと決めた時の自分が一番カッコイイことも知っている。だらだら生き延ばしてるのはまぬけな感じ。そらなめられるわ。でもなめられても別にくやしくない。いずれ決まることだもの!まっそろそろかな