ドーソ会(女子高なのでほぼ全員ファジーネーブル、一人ウーロン)がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだってこと。

もちろんウーロンはわたしです
高校卒業以来4年振りに会う人たちばっかりでして、。
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若干混乱したのも事実だよね〜。
あの高校に通ってて、この面子といっしょにいたんだっていうのは、知ってるけど、さっぱりリアリティ0でしたよ。
皆、普通になったんだ〜。。と思ったり、あのころの格が違うこわい人、かわいい人が、普通の人、疲れた人でしたよ。でも、当時のまま段違い別世界にきれいでかわいい子も2人ほどいましたよ。おりこうだったり、おりこうだったけど、なんからくな方におちついちゃってたり
わたしが、過去の、けっこう濃くて長い時間の中で、この人たちの中にいて、この人たちについて、すんごいいろんなこと考えてたんだな〜、、と思ったら、「え?」「?」「ハハ」て感じですよ。「ふつうにそのへんにいるかわいいこたちですね〜」ですよ。だからってそれ以上のすごいやつをもとめたわけともちがうけど。そしてまるっきりくわしいことをしってるわけとはちがう。・・・。


なにしろ一時小鳥のように大事に思っていた子が、、、、、、、
ああ、、、、、、。。。。。。。。。
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もういわゆる超タミフルな感じになっちゃてて。。やっぱ桁違いに繊細だからで。。だからなおさらもじゃもじゃで。。。なんかもう。。
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だからって今何かやってあげたいとかいう立場というわけとは違うんです。出会い頭若干引いちゃったし。
学駅につく前のトンネルを抜ける時に一瞬の季節にだけ見えた風景のようなやつを大事にしたくても、部屋で飼って養うようなイメージじゃだめだしね。でもぶっちゃけ変態な話したら飼いたいよね。大事に育てたいよね。
でもやっぱり、引きます。
でも、あのちっちゃい体で、一生をすごすあいだ、許せないこと、すごい衝動が、すごい密度でつまっていて、なおかつ放出しながら、あるいてるような気がする。
でも彼女の美意識をわたしは今日メチャ足蹴にした気がします。



広島って、ほんと、いや〜なところだよね。夜になったら喫茶店入ってもケバい人ばっかりだし。と、朝、後輩に話してたんだけど。
わたしの中学を退学した友人で、めっちゃかわいい子が、広島のことを「封建的な街」ていってて、わたしはそのころ、封建的って意味がわからなかったけど。
やっぱクソだわ〜広島。なんて、もちろん冗談ですよ。LOVE広島。
というか、学校という物理的&精神的な「枠」の中で、あらゆるすべてのなんでもかんでもが守られていたんだね
きっとなにかしら、共有した時間のある人たちですから、それはそれは楽しいでしょうけど、なんか、さくっと抜けちゃった、なんか、あと、友人がタミフリーになってきたのもあって。でもすぐ別れちゃったけど。彼女には彼女の夜が。あるのね。
ぐたいてきなことはふせたけど、「大事にしてほしい、、」と、いって、むこうは爆笑してて、わたしもなんかにやにやしちゃいましたけど、大事にするものってなんなんでしょ、ということわ、わたし、ベストな答え出したいわ〜。






基本的にこの会であったことのすべてにおいて関心はまるっきり薄いけど。感受性の低下なのかなにかに臆病になって消極的になってるのかタイミング的なものなのかは謎だけど。
ボソボソ深く言うんじゃなくて。ギャーギャーさわぐだけじゃなくて。ボソボソさわぐだけじゃなくて、ギャーギャー深い話するんじゃなく。過小評価とも過大評価ともちがって。何かすごく大事なことを考えたいよ。そしてやりたいよ。



あんまり皆のダサいところを見たくないわたしがそうしたいだけの勝手で稚拙な行動なのかな?なんか当然だけどそんなに大大大大好きなメンツだったわけとちがうし。でもほんと、笑笑的なところですれちがいまくりのもう終わった話にキャーキャー言うのをソフトドリンク片手に見るよりも、高校時代のごく少数の友人と夜の冒険をしたり、アイスランドにいってオーロラ見たり、ギャオ(地球の割れ目)見たり、ひろし君とピピ島いったりするのが若干気分いい。ただそのアクティビティは、いろんな時間軸を生きているひとたちとの笑笑的会合空間の共有の中にいる自分を俯瞰することから生まれるんだよね。結果的には行ってよかったと思います。いろいろな確認にもなにかのきっかけにもなるし。