ドロン

自分の感じている「欠如/欠陥」のスペースを満たしたいという気持ちは0ってことの理由?
美しいものにできるだけ早く・できるだけ長い間・できるだけ近くで触れていたいと思うのは、昔、ファッション雑誌やCDを始めて買った日をできるだけ昔のことにしたがったり(業界に慣れてるように見せたがったり)、テレビの芸能人の話についていきたいと思ったり、かわいらしい子と友達になりたいと思って近づくことや、鏡・ペンケース・メモ帳などのもちものにこだわったり、自由に使えるお金は少なくても、洋服の店をやたらひやかしたりサブバッグにブランドの紙袋を使うようなとこに、露呈するのだと思うけど、万人に平等に美しいような錯覚に、すがりたくなるときがあるんだろうなーとか、で、まあまあ年取ってわりと気持ちの余裕みたいなやつが出てきたら、生まれつき**だから、みたいな割り切りのような錯覚のようなものに、すがるのかなーとか。
インクがにじんだ時の瞬間の鮮烈さ、えのぐを水におとしたときの模様、ほのぼのした朝日の色、リボンの動き、ドレープ、しらんだ空を見上げた時の黒い逆光の金太郎飴ビル、なみなみ、えんえんとつづく木目状の曲面をもった何か・・・永遠に続くように思えてしまう快楽に身をゆだねるような、もっていかれそうになるような、夜に見る夢のような。ひたすら脈々と淡々とつづく営みにすがるのかなーと。
死とか、時間とかいう、シビアで絶対的で、皆平等に受け入れることになってそうな、何よりもポピュラーな支配的なイメージのあるモチーフをつきつめるといろんなことのタブーに突っ込む日がくるんだろうなーとか
デッサンしてる最中(ゲシュタルトの崩壊と再生の合間を漂いながら生産してる時)は頭の中にピンクフロイドのアルバムのタイトル、ヒプノシスのジャケットの絵がよく出てくる。 ex.対 光 原始心母 あとドリームシアターのオクタヴァリウム
プログレッシブ。
オルタナティブ
100パーセントのものごとで世の中が構築されてるとして、その中でわたしが知ってるたった5パーセントのものごとだけで構築した(篭城した)小さな世界の話、面倒臭くて苦しいことを避けて作家の名前や学問のジャンルの名前を食べては吐くだけで切り抜けようとする自分が一番嫌いだ。
22のわたしより21のわたしのほうがずっとずっと大人。