損得的なサムシング

本当もっと勉強する必要がある。人格形成の精度もいまいち低い。
つきましては自分はいかに過去をつくってきたかをつぶさに研究してみるのも手かなっと、・・・

生きて死ぬ自分レベルで考察をやり続ける必要が一生ついてまわっていることを認めたい  
なんとか逃げたい気持ちでいっぱいいっぱいってことだけで、損得的なサムシングのパワーゲームの下位にいるような残念な気分になる


あと、自分は折々の年齢(3歳7歳12歳19歳22歳25際の年齢の居場所として多い場所)より「ちょっとだけ」ませている気がする。「ちょっとだけ」だから、天の川から遠く離れたところから俯瞰したり見上げることも天の川の主流でどっぷり光り輝くのも難しい位置で、主流からほんのすこしだけ距離のある場所でブチブチ文句を言ったり、主流との違いに心配したりしている
よくあること


学校が休みに入って数週間経って、前々からやろうと思っていたことを進めることもできるし寝たいだけ寝てるし遊んだりお茶したりご飯にこってみたりいいかんじなんだけど、時々用事で学校に行って、ばったり仏語のクラスメイトに会ってきゃーきゃー喋ってると、学校の友達たちとすごす時間が恋しくなるなぁ別にいい感じの「学生生活」を今更送りたいと思ってるわけとは全くちがうけどね、きっと「学生生活」に対して抱く憧れ的なサムシング自体ほぼ0に近いしね


イメージ的なサムシング=限界的なサムシング

頼れそうなサムシングに頼ってみるとちがうかもね       諦めと野心の折り合いのつくタイミングが見ものだよね


多分、永遠に愛し続ける対象を自己決定するまでの吟味が大変ってこと