自分の過去はノンフィクションなんだーと思うとびみょうにホッとする

地獄(白馬)から帰って来た 
深夜バスを降りてすぐ、一日で「立ち上がるのが難しい」という状態から突然アルプス頂上の上級者コースに置いてきぼりになるという苦行 コースと違う急斜面で絶望に打ちのめされ放心状態になっているところをリフトから見た人が複数
超ふぶかれた。お気に入りのニット帽(毛)のふんわり感もモコモコになった 
あ〜まじ死ぬかと思ったわ
よって2日目の午前は複数名の女性と部屋で読書したり二度寝したりテレビ見たり。インドメタシンすばらしー。午後からはさいごまでこけることぬきに滑れるようになりとまりたいところでぴたっと止まれるようになったとはいえ滑り台を恐ろしいわけとも嬉しいわけとも悲しいわけとも思索をめぐらしてるわけとも違うガランドーな気分でシュバー・・シュバー・・と滑るのは別に大してテンションが上がるわけとも違ったということは「うしろむきに滑ることがうまくいきにくかったから」ということになっている。
うまいこと滑ったところで誰かが見てくれているわけともちがい、家でコンピューターと対面したり身軽に踊ってるほうがテンションの上がりかたが違うと思った
でもね〜ガランドーな気分にわざわざ自分で3日かけてはまり込むということもわりとまれで貴重な経験と思えばいいと思う


たのしかったのはすこぶるキュートな女性たちとのおんせん、あとなんか帰る直前にいったゲレンデの更衣室がはなやかでよかったっす。あと帰りのバスで語ったのもわりとよかった「なんであの場所いくのきんちょうするの」の答えに「わたしは出しゃばるよりひかえめくらいがいいと思うんですけどね、、」みたいなかんじでね、、本当皆の濃さの調和をとる係になれればね、やわらかいウエハースみたいにね、な〜んて、難しすぎる役。やめとけ。むずかしい。せいぜい自分も濃く出れるように訓練するのがいいのかな?あんまりね人と語るのもね、なんだかなっと思うこともあるんだ、限界をねかんじたりするね。越える必要があるね


あとKうら先生に「K田はK野ティーチャーに似ている」といわれて「わたし彼ほどチャキチャキしてませんよ」といったら「彼意外とチャキチャキしてないから。根はタルーいから」とひとくくりにされてるけどティーチャはいいのかな????????????????????????????
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?????????いろんな話を聞き出せてよかった   かつてのわたしとの噂の人(41歳医者)の話もきけてよかった じっさい約3年振りくらいに名前をきいたきがする。  にしても用意0だと会話が良くも悪くもサラサラでひっかかりにかけるものになってしまうなっ   さ〜明日からまたこつこつ勉強でもします。。。スノボで得た経験、というのも皆こんだけ用意や時間やお金や労力をかけて命懸けで遊んでる(滑り台を滑っている)んだなあ、つまり、わたしは命懸けでタラタラしてるんだなあ、と思い、じゃ〜命懸けでたらたらしてるやつのメリット的なやつもあるはずじゃ〜んと思ったこと?的なやつ?を生かそうと思います。。。命懸けでマイワールドを、文字通り死守、するのって、はたしていかほどの価値が。とかね。テレビでは世の中いろんなバイトがあるのをしったりIKKOさんを可愛いなあぁ〜と思ったりした