今日、くたびれつつあらゆる授業の最終発表を想像しながらてくてく帰ってたら、向こうから自転車が来て、手前でUターンして同じ道を帰って行ったので、高校時代の感覚を思い出してビャーンとなった 
高校のときは、学校のあとにお絵描きの予備校にかよっていて、夕方から浪人生が帰ってアトリエが空くまでの10分〜30分の間に友達とコンビニで何か飲み物を買って(←1日で一番楽しい時間)、全力投球で絵を描いたり立体のかたちをつくったりして、帰り道はまあ大体、その日の結果が良くてもいまいちでも、あらゆる関係に対しての不満とか疑問とかで思考停止状態で号泣して降りる駅の手前3駅くらいから頭の中を空っぽして涙がでてこないようにして、目が充血してるのがもとどおりになる時間をつくって、それは駅を降りて家までの何もない暗い道を帰るとちゅうにママが自転車で途中まで迎えに来るのに合流するころにはおちついておく必要があるからなんだけど、
今日見た、暗闇の向こうから自転車が来て、手前でUターンして同じ道を帰って行く風景は、当時毎日見ていた風景で、
画材が入ったサブバッグを自転車のかごに入れて、今日はなにがあったーだとかだれだれちゃんがどーしたこーしたとかしゃべったり、何もしゃべらなかったり、ママのきげんがわるいなーとか、パパがまたどーのこーのとか、ありつつ、家について、家では基本的にあまり明かりをつけないので薄暗く、焦げ茶色の木の床やテーブルクロスがものの隙間からぴかぴか光っている。時計の針が10時をまわっていて、もう10時だからはやく食べておふろ入ってねといって、テレビはつけないで、無音でごはんをひとりでたべている。モソモソ食べつつおいしいとか思って言う。ママは特に何もせずにむかいに座っている。今日描いた絵の話をしてても「そう、よくわからないけど、さっさと食べておふろに入ってね」的に噛み合うわけともちがう。


2浪で上京した1年間も姉の社宅に居候していたから、J美大に入るまでの他人とともに暮らした合計20年間のことを思い出して、ひとりぐらしと誰かと暮らすことの何が違うのか理解&納得するような変な気分になった いろいろ頭が良くなったような幻想が持てたのは、なんとなく一人暮らしをはじめてからかもしれない。


1浪でだめだったとき、上京するのをきめたときの一週間くらいに死んだような気がするくらい、全身で将来が怖かった。2浪でだめだったときJ美にいくことになった夜は上京してきた母親と姉の部屋で3人がふたつのふとんで寝てて、間にはさまれつつ絶対に気づかれないように気をつけながらはげしく泣いた もっともとどめ的な衝撃はJ美入学後に2、3発あって、いまはもう比較的穏やかな心境でいさせてもらってる
:結論:
度重なる否定経験は自発的思考への自信を攻撃するが、攻撃に対する耐性を持たせてくれる(コックローチ型進化)
でもまだまだ、ただ単にいままでずっと、もうすこし作業量が必要だっただけで、あともうすこしだけ作業すれば、いつだって認めてもらえたとかいうこともあるよなあとか思うのは、一番いやだなあ