小学校中学年くらいまで、低い山に囲まれた海沿いの市の中の小さい町の中で、幼稚園や小学校からだいぶ離れている中学校の前に建ってる社宅で暮らしていた。そのとなりに高専とそのグラウンドがあって、放課後は中学校からブラスバンド部の練習の音をききながら、同世代の子たちと草を食べたりゴムとびとか自転車レースとかして遊んでいた。10年前に移転でなくなった小学校のすぐ近くにある神社の長ーい階段をひたすら上ってさらにもっと坂を上って山の中腹にあるバラック小屋の書道教室、神社をおりたところにある公文の裏の自分より背が高い草が生えまくってる近道をすりぬけて、駄菓子屋さん、夏だけアイスを作って売ってて時々くれるこんにゃく屋さん、横断歩道を通って友達の歯医者さん、八百屋さん、友達のふとん屋さん、ピアノの先生のおばあちゃんの家、転校するまで私のことが好きだった子の家、通ってた幼稚園、古い病院の横に広くてなにもない銭湯、駐車場に鎖で繋がれてる怖い汚い犬、プレハブがさらにヤバくなったような錆び錆びの骨格だけの暗いスーパー、友達が何人か住んでたJRの社宅、もっと歩いて駅を通り過ぎて、中で火花が散ってる溶接所の前、JRの線路の下の深いトンネルをくぐって植え込みのあるレンガの道を歩いてやっと自分の家につく。自分の住んでるあたりのエリアは好きで誇りに思ってたんだけど、9歳の時にとなりの駅との間にある一軒家に引っ越して、学校も変わって、広島市内の中学に上がる前くらいからずっと、遊びにも受験にも情報に差があるし、雑誌のチョイスも音楽の趣味の合う子もだいたいが東京の人だったから、自分はなんで東京で生まれ育った人じゃないのかなあと(純粋に不思議に)思っていた。東京から地元にUターンしてくる人は、東京にコンプレックスとか何か特別な感情があるはず、と思ってたんだけど、昼過ぎに近所の見晴らしのいい公園でジュース片手に読書してたら大きな川沿いの静かそうな家の写真があって、大学卒業後は広島か岡山か、全然違う地方に、移動するのもいいなっと思った 前は、田舎は近所付き合いでへたなことができなくなっちゃうってこわごわしてたけど、小学4年生の頃、大人になったら、寝る時は自分で部屋の電気を消したり一人で眠るのかーって想像してすごく心細かったのが、実際大人になってみると自分で部屋の電気を消したり一人で眠ることよりももっと気になることがあるから、田舎での近所付き合いが大変っていうのも同じような程度の事でしょとも思う 別に広島岡山がいいとかいうわけとはちがって、大きい川からの風がとどいて山に霧がかかってるのが見渡せる家に住むと気持ちいいだろうなっていうだけのことだけど
でもグーグルマップで調べてるかぎりでは、やっぱり東京よりパリより広島岡山よりヘルシンキが性にあってるきがしてならない