土曜日のOSHIGOTOをやって、お昼過ぎに終わったからごはんをいただいて、2年くらい前青山フラワーマーケットが撤退してから魅力が60%くらい減った日本橋のillyで、左手は論文を持ってたんだけど、なんでとっちらかった膨大なやりたいことに追われたりやりたくないことをやってるんだっけ、生きるためとかいうこと抜きでなんでだっけ・・・を思い出そうとしてて、生まれたときからのさまざまな人間関係のつらなりの中で気に入った映画や漫画とかの物語の表現の中に将来を見て、物語の中に出てくる記号を収集する過程の中にいたような気がする・・・今はほとんど物語への興味は薄くて、特定の記号をおもしろいと思ってる。多分環境の変化のせい。記号がいくらでも目に入ってくる状況だから、一番よい記号を極めたらいいと思うようになってきて、記号のつらなりの中に個々に勝手に物語を連想する、っていうところまで考えて、諸事情でそごうのマークみたいな髪飾りを購入して、本屋さんにいって、私の苦手な物語のジャンルで何か参考書はあるかなとあるいてたんだけど、考えてたことの目線で目にとまるのは高校生大学生会社員の若い人の若干バイオレンスな感じの青春小説という感じで自分の今の気分とは違う気がした(スペインの宇宙食の文庫版のあとがきとよしもとばななのお手紙を立ち読みしたくらい)アリスの顔の手鏡、ニョロニョロのペン、チェブラーシカの両耳が取手になってるコップとかは今もかわいいと思う。伊坂幸太郎は泣きたいくらい暇な気分の時に読もうと思った