先週、まるたかで晩ご飯(エビフライ単品)を食べながら卒制について先生に色々相談しましたら、アンチ意識がエンジンになってるなら、先生がやらないようなことをやれば?とか、くるまの絵がうまいからカースタイリングとかやったら?とか、はじめ学校に来た頃にやりたかったことをやれば?等のアドバイスを頂き、とりあえず入試の一次試験で出した志望理由書みたいなやつを読んでいました。いつも思っていることだけど、改めて読み返すと志望理由書はより具体的に、わたしは楽天的なものが好きなんだなあということが書いてあった 強いコンセプトとhappyな精神性があるもの(あるいはHappyを装って暴力的なもの)に影響を受けて来たということがわかった

かつて自分の日常経験上にあった、ささやかだけれど印象的で大事に思っているもの 例えば、
化粧品のパッケージ、アクセサリー、ピエールマルコリーニの箱、ココア、うるるなんとかとかいう2004年だけ出てた清涼飲料水 冷たいスープ 夜のドライブの助手席から見える街 地元の駅ビルでかすかに聞こえるチャイム 自費出版(流通にのらない)CDや本やTシャツなど
普段の生活で愛しいと思うことは瑣末なところに宿っているということをはなしていたんですが

私は別に何かの操作性をさらに良くするとかいうことには興味は薄くて、
買った目的のものに知らず知らずくっついてた景色みたいな、プロダクト第一の本丸とは異なるところに商品価値を求めている気がする
うるるなんとかとかいう清涼飲料水も、その味や飲んでる感じとか、ビジュアルが好きというよりも、常に練りゴムをいじってる手で黒っぽく薄汚れたペットボトルを足下に置いて一生懸命石膏デッサンしてて、合格したいって思ってて、でもだめだったことや、その頃知り合った尊敬する人たちのことを、その味を認識すると思い出してがんばろうって気持ちになるだけのことで、ココアが好きなのも、のんだら中学生の頃お姉ちゃんとお母さんとココアのみながらビデオみてた冬の夜のことを思い出してほっこりするからってだけで、ココアじたいはむしろカロリー高いから避けたいようなものなんです

たまたまかもしれないけど、
めちゃくちゃ幸せだなあと思った瞬間、それと、感情を揺さぶられて動揺した(こわいとかドン引きとか絶望含めて)瞬間、に、居合わせていたものたちが、私の中で別格の存在になっているというか

病院の患者の人たちが着ていた黄色い合羽も、中学時代に友達と夢中になったケータイ小説のようなものの主人公の冒頭の描写に出てくる水色のマニキュアも、ウィトキンも、ホノルルマラソンも、私にとってはならよしとももそうです

1から作るものに、上記のような記憶のデザインというのか?を提案する方法は?