さいきんめもするの後回しにしてるうちにわすれやすくなるんだけど、けっこうおもしろいゆめをみている。
わたしが(紙面や画面を通した印象が)大好きなきくちあきこやPerfumeや、いままでの友達が出てくる。
わたしはそのみんなのことが本当にすきなんだけど、
かれらから普段見受けることは少ない、暗い気持ちや、つらいことこわがっていることめんどうくさいことまで責任をもってつきあうこと、わたしが担保することを、むずかしいとおもっていることが増えた気がする。
むかしはちがったのにねー。ほごしゃがまずそうだったら、ほごしゃにまずいことにならんていどに、とりあえずはあいにいこうとか、したのにね えんげきをしていたころはねー。そのこのまずいところはまっ乱暴にいうとほごしゃのせいにできるしねえ
わたしじしんも、わたしじしんのそういうこととうまいことつきあってコントロールできてるわけとちがうのなーということが、生活の綻びとして出現しているきがする
有元利夫の画集でもみるか
※なぜならありもととしおは高校生のときすきでみてたからで、けっしていまやくにたつなにかがあるというわけではないので、過去の遺産なんで。もういいんで。いまはへやをそうじしたり心安らかに宿題済ませたり 寝たり遊んだり そなえつけの緑色のブラインドはみてるときがめいってくるからワイズフォーリビングでマトモなカーテン欲しいとかいうほうがずっとつよいです。ずっとずっとつよいです。