赤いクレーン、秋空の写真。カラーを見た時は何んとも思わなかったの

明日から学校だわー。数週間後にはセンターだわー。あらら。勉強なんかしてない。する気もない。
はは。学校でしよう。いやでもせにゃならん。



いまえをかいていまーす。
デッサンどうしてもモチーフとの間に厚〜〜い壁をつくってしまう。頭が「むずかしいなあ!」と言って来るのです
でもなんかいままで、たとえばパジャントが出たら「今日はパジャントを描く。」という姿勢(なんじゃそら)で描いて「あ〜〜パジャントに似ないよーー!」と嘆いてきたんだけど、その「似る・似ない」って記号的な意味で・・
「どらえもんを描く。」という姿勢でぶつかって「あ〜どらえもんに似ないよーー!」と嘆いてきたということなんですが
どらえもんの質やどらえもんの頭の回り込み、プロポーションや量感は、「どらえもんに記号的に似ている・似ていない」という問題に比べて「デッサンにおいて」どれくらいの重要度を持っているか。
そのあたりの自分の意識が、(記号としてのどらえもんにあまりにも似ないこともあって、)制作中たびたび揺らぎ、曖昧模糊としていた。




何が一番大事なのか見極めなければ!