さいなら

一ヶ月ぶりに学校に行きました。あぁあぁ。感動的な思い出なんて別にないはずなのに、わたしがわたしであったという過去の唯一の証明である日常をひたすらトリミングして見ていた。卒業式にいくつも涙が出たのはとまどいからだった。何年も前からカミングアウトしようと思っていたことはあった。でも、卒業とはそうやって劇的に終えられるものではなかった。しめやかでもなく、ただ空元気。屋上で友達4人で写真をとっていた。お互いの顔の写真ではなく、気の向くままそれぞれの姿がある風景をパラパラと撮っていた。そのくらいの丁度良い距離感のつきあいだった。わざわざ美術室に赴き美術の先生にいろんな宣言をした。最後の帰り道でいつもどおり昼下がりの電車の窓から土手や山山や海や海沿いの国道やガードレールを眺めながらもの思いにふけっていた。景気づけにイギーポップファンクラブを大音量で流して着替えて打ち上げに行った。あぁいう店にクラスで食事することなんて今までなくて、でもわたしは今までどおり喧騒の中ボーッと食ったり飲んだりしながらひとり人の話を聴いたりもの思いに耽っていた。暗い照明の下わたしの頭の中は夏に横川シネマで観たblueのたくさんのシーンがフラッシュバックしていた。家に帰って魚喃キリコのblueを読んだ。どうしようもなかった。・・・。
とまどっている。でも、それでいいと思う。
今はそのまま正直にとまどっていていいんだと思う。


わからないなりに血気盛んに描けばいいものができるわけじゃない
わたしはわたしなりに素直に誠実に
目のまえの勝ち負けに躍起になるのは、ずれている。



あー・・。
あー・・。
あー・・。
昨年、いくつかの日記サイトをわたしは彼女らの刹那が卒業の際どう露呈されるのかとどきどきしながら見ていたけれど彼女らの場合何のことはなかった。そしてふぬけていった。わたしはどうなるんだとうなぁと思い、今日の日をこう迎えるためのいままでだったような気がしないでもない。
本日は照れくささ50%増し、クールkurodaの面目丸つぶれです。でも いいんです いまだから