学科が終わって遅くなって
部屋のカギを開ける時にK野のことを思い出して暫く手を止めて
わたしは多分もうK野に会いには行かないなと思った
なんだかんだで結局縁が無かったというか 
K野はそんなことにさせたくなかったんだろうな「終わってみればいい経験でした」の一言しか出ないようなメモリーヅには
↑これドライに読まないとニュアンスが変わってしまいます


変わらないものなんてあったら困る
変わらないものを求めたら、家に帰るしかなくなるじゃないか
ドラマが無い
何も変わらないはずがない 何も変わらないことほどつまらないことはない


本日ひとりでコーヒーショップでお昼をしながら
「何かこの状況は前に見たことがある。」と思った なんだろーと思ったらわたしが中学二年生のころとほぼ似たような状況だったのだ
可もなく不可もなく、居たいかと言ったら居たくない(まず戻りたくない)小学校4年生の時並みに戻りたくない
ま2年のころやんちゃんと知り合ったんじゃが あいつもなんだかんだいってドライですし(別に非難の意味ではなく)
なんとなく、公道があって、猛スピードのリーダー格的先頭の羊、すぐうしろをついて走るその他大勢の羊、後ろの方をえっちらおっちら歩いてる羊がいたら
自分は時々公道と交差する裏通りを自分の確認をしながら歩いてるような気がした
わたしの友達もなんだかんだいってこういうタイプがけっこういると思う
それは権高なものではなくなんだか気分の悪い違和感のようなものです
でも時に権高っちゃ権高かもしれない。


でも、ああいうキャラクターの、ヒエラルキーとは違うけど、ある程度の層ってやっぱりあらかじめ決まったようにあるんだなーと思う
思い返せばコミュニティは全く違えどポジションが似てる人ってなんだか声質が似てるもんなー
だからじゃあないですがわたしも自分の平均的なポジションというものがはっきり見えてきたような気がします
そのポジションの材料がこのホームページのリンク集に端的に表されていると思った 
立島夕子 ヨージあたりはそろそろはずしてもいいんだけど そしてポタ食(自転車食べ歩きのサイト)と空港のホームページ等を追加したい
おしまい・・