言葉のカオス

悲しい時間の使い方


一学期終了まであと一ヶ月もないのね・・。ありがたいことだけど
19歳っていう輝かしい年齢でですね しかもその春夏に もう嫌だもう嫌だ〜って言いながら気を紛らわせながら走り抜けるしかやり様の無い苦しい体験を味わうなんて 
これまたかなしいな〜と
後悔するようなことはしていないけど、後悔するような心理状況に自分をもっていかないことがたいせつだ・・と思う 即ちそれが自己管理というのなんだろうと思ー(自己管理、それだけのことなのだろうか。もっと未来に向けてのベクトルの強度にも関係してくるだろう)


かぜをひいて?地獄を見た
丸一日横になってたんです・が・
超常現象が起こった(真夜中にインターホンが聞こえたり、霊の重みを感じたり、突然オーディオがかかったり)
三半規管の位置が移動したり、
時間の感覚が失せたり、
u−CHANGの講評がエンドレスだったり(きのうの話はためになった)
夢も辞書のように小さな文字だらけでツネヒゴロの悩みを「〜〜なのか?いや〜〜なのか?〜〜なのか?」と 脳みそを使わせようとして非っ常〜に地獄だった 脳が宇川直宏状態!!「どついだるねん・・」脳が赤井秀和状態!!

ひき始めの、体に重力がかかってないふらつくような感じ、でも頭はちゃんと働く状況はけっこう楽しいんじゃがね〜
悪夢にはあらがえん
夢でK野がずーと出てきたり美穂ちゃんが超デブになって(つーかもう別人状態)で性格悪くなってたりして 自分が奄美出身なのか広島出身なのか呉出身なのかわからない!!自分は何者なんだ!!奄美の色はどうやったら出せるんだ!!(なぜ奄美?)赤がもったりする、こんなの奄美じゃない 描けるはずがないだってわたしは奄美出身なんかじゃないんだから・・と、ここんとこの悩み事と興味がごちゃまぜになってすべて物語風に繋がりがありそうに具現化されちゃったような感じです 自分が太って顔が変わっちゃってるんじゃないかとか、こっちの子と喋ってて「広島弁いいなー!」とか言われる度に嬉しい反面「わたしの居たところはマンガの中の国ではない。」と言いたくなるようななんかその 恐怖のようなものがあるんです わたしの過去はマンガの中ではない 現実の世界として続いてるんだと言いたいのにそのリアリティが自分の中にないからでしょう
ああいう時「う〜ん、う〜ん」て言ったり突然オーディオから音楽が流れてきたりしたらちょっと気が紛れてらくになる でも何の根本的な解決にもなってないんですねーそういう点で「癒し」というのは胡散臭いですよね。というのがさいきんの持ち論 癒しはわたしを救ってくれますが 何も解決はしてくれないからです(いやあんがいそうでもないかもしれんけど 「氷解」というのがあるかもしれんけど)


今日のこくごに出られなかったことがくやまれます
おかあさんがいまからくるので
アミノサプリ
フジッコの杏仁豆腐を買ってきておくれ!
こゆ精神状況になったとき 先週ポロッとムンライに言っちゃった一言が「あー、悪かったなー」とずっと思っていましたが増大されます ほんまごめんムンライ!!!あとぴよちゃん!!ポンス返しにはまだ時間がかかりそうです!!なぜなら今まだ脳が混乱していてまともに返せないからです でもとにかく来月はお茶しようぜ!これが今のわたしの切なる願い・・(もダメ/アウト)


なんかときどき思うんだけどわたしの個人的に言うことってほんと支離滅裂で理解云々以前の域の下手くそな言葉の羅列のようなワールドなのですが
理知的な話を理知的に構成すればそれなりに聴き応えのある話はできるつもり(体裁を繕わずとも)
じゃあなぜこうも意味不明なことばかり頭を掠めてそれを言おうとするんじゃろ(体裁を繕わずに)
その結果とぼしげな絵・文章ができるんだけど
これは小学生の時からの疑問 キマッた絵は上手くても落書きは下手というか・・
さいきんはいい感じの落書きをコントロールできるようになってきたけど
そういう事態に接する度まさか自分自身がとぼしいのだろうか。と思います
知識や、おもしろいこと色々考えてる思いの丈に描写力(基礎的構成力?)が追っついてこない。というのはかなりある。
さいきんかなり思う。自覚。u−CHANGにもかなり言われる。ここほんとに鍛え所。


あと頭の中がぎゅうぎゅうな時に限って「キリスト教の、」とか重くて理解が必要なテーマをふっかけてズンと頭が重くなる
なぜじゃろ・・