自我?について

今日はちょっとガッカリさせるようなことをかく。
わたしが「自我?」というのにはっきり気がつき始めたのはごく最近(ここ1,2年?)くらいでのことだということです


高校くらいまでのわたしは、
あんまり根本的なところでの疑問をもたなかったので、
はっきり言ってちゃんとみんなのことをわかってたわけじゃないし、
どちらかというと自我?との格闘って難解かつファッショナブルな感じがしたんだけど

(ファッショナブルっていう言葉も気分で使ってる)
あ、授業が始まるんでまたあとでかきます。

授業おわったんでまたきました


小さい頃私はコンビニというものに憧れのようなものを感じていたんですが、
(そのコンビニは当時はまだ住んでなくてのち引っ越すことになる 広という町の道路沿いにあるセブンイレブン
コンビニは清潔で冷たいジュースやなんかしらんホールドのような飴がたくさん置いてあって色んな雑誌があって若者の服を着た若者がクールな感じで居てお洒落だな。と思っていた。
コンビニエンスに魅せられたキッズだったんです
(ママはそのわたしにコンビニなんて全然お洒落じゃないよと言っていた)
そのわたしが大きくなって育った土地を離れ18,19,20となった時、
わたしがどこにいようがわたしはわたしである。わたしは確固たる存在である。と言うことに完璧に自信がないという事に気付きました。そこで出たのがあ〜わたしはBBR(ビビリ)、GK(頑固)、OCC(オッチョコチョイ)なんだというやや卑下気味の・そして完璧な自覚。それはきっとそれまでももやもや感じることはあったかもしれないけど、はじめてのはっきりした、自我?なんちゃらに対する気付きです。
18,19,20になった頃のわたしは、
自分に無い何かを得るためにウロボロス的闘争を経なくとも、
きっとあのアイテムを経済力でもって手に入れさえすればあの姿になれるんだ。という考え方の濃い大人になっていました。



ちょいまち

学校、友達グループ、バンドメンバー、そういうものに対する憧れは、強い連帯感、タッグ感に対する憧れだったのれす