自分を醜いっておもうことよくあるよ。

100パー起きてるうち80パーくらいそう思うよ。
そう思ってないと、ちゃんと自覚もっとかないと気が抜けてどんどん堕落して醜くなるような気もするよ。

今までの経歴ぜんぶ隠蔽したいって思うことあるよ。その経歴に恥ずかしいことなんかひとつもなくっても、
スポーツができない、音痴、デッサンが下手の3つ、
めがはなれてて鼻が低くてにきびができやすい顔質っていうこの3つで既に恥ずかしい決定って気になるよ
それを隠蔽したくって自分の好きな服を買ったりもらったりして着て、それを「おしゃれ」って言われることは、つまり隠したいコンプレックスが確実に存在することの証明だ。て気になるから、何にも見られないようにしようって思うことしょっちゅうあるぜ。
でも、あの子素敵だなって思ってた子に久々に会うと、ヤンキーおばさんみたいなやばいセンスが爆発してることとかある。
二重あごで口あけっぱで必要最低限のビューティーがやばいことになってたりする。
そんでわたしはかなりショックをうけ、ろくに喋れなくなる。
だけどずっとそう思いっぱなしだとつらいし、なにがなんだかわからなくなる。
そしたら残りの20パーは、自分素敵!っていう思いに命綱なしで溺れるしかなかったりするぜ



そして心の傷について考える。たとえば、余裕にみちた風なビジュアルの世の中で、わたしのだめだめでも生きるっぷりにシンパシーをかんじ慕ってる子がいるとする。
その子のまえでわたしが、とても皮肉なことや余裕なそぶりを見せたりすると、その子の心の拠り所はなくなってしまうんじゃないか。
というのを言うも、心の拠り所がなくなることの苦しいのは、わたしはしっていますのでね。でも、克服はできるわけで、したら前より強くなるわけで。変化を恐れてはいけないんでしょうかしら。わたしはそのこの心の傷まで知ったこっちゃないのかしら。



あと、造形的にかっこわりーから認められるって時あるな。自分と同じようにかっこ悪いから、自分の世界に踏み込んでくるのが許せるみたいなの
けっして美しいからとか、かっこいいから許すとかいうのじゃなく、むしろそうだと引け目を感じてしまってだめだというかね



わたしのいってることはいつも自己完結できるきれいごとかい?