チャントしてること

一対一コミニケーションには 願ってるものってそれだけじゃねえよなーと思う
いつかだれかにそれが伝われって思いながらとくていの一人だけにチャンとしゃべってるってありうる


何かに対してチャンとすることは例えば何かに対するプライドを育てるとしたら、そのプライドはどこにいくのかな〜


つーのもチャンとできないから。そのプライドにあまり価値を感じない。
それはいずれそれを持つ自分からすれば、で、それを求めてる人には価値が大有りだと思うけど・・
チャンとしてたころは、それがじぶんの よくもわるくも人間性をはぐくんだようなきはするが
楽しがってるのはチャンとすることじゃなくて、その合間合間にエスケープすることだとわかった時、人生をエスケープしようかと思ったけど、
まーそれも極端すぎるというかまだその判断が正しいかどうかはわからないし。とおもってる。



よく考えてそうだ、と思った人と話すと、案外短絡的だったりすることがある
短絡的であることが良かったりすることもあるけど、わたしはそんなんじゃ話し甲斐がないなーと思う。
それを短絡的な考えだなって思われるのは嫌だなって思ったらあんま喋らないようにしようと思う、短絡的だなっと思ったら喋ることが特になくなる。しゃべりってどんなツールなんだろうな わたしは幼稚園の頃そこにギモンを持たずに比較的たのしくつきあってきて、21になるまで考えたことがなかったけどな


やるべきことのわかってる授業をさぼってこういうことを部屋にこもって考えてる雨の日は
「暇なんだなア〜!」
という感じがします。暇なんだな〜、&、手持ち無沙汰、じゅーじつしてない、カビが生えそう